お部屋改装中
今住んでいるリノベーション済の中古マンションに引っ越したのが、増税前の2014年の3月。
あれから3年たったものの、賃貸暮らしの時に買い足していった家具のままで暮らしていたので、我が家のリビングは統一感もなくサイズもバラバラ。
このままじゃイカン!と思い、リビングをちまちま改装しています。
ひとまず手頃な価格のハイタイプのテレビボードをニトリで購入。
お部屋を広く見せるスリムタイプのテレビボード(Nウェルカー120 DBR) | ニトリ公式通販 家具・インテリア・生活雑貨通販のニトリネット https://www.nitori-net.jp/store/ja/ec/8050790?ptr=item
時間は倍近くかかりましたが、一人でも組み立てられました。床&ソファーが白いので、新規で購入する家具はダークブラウン系でまとめる予定。
ハイタイプのテレビボードはおしゃれなものも多いのですが、重さが80kg越えをするものも多く、重くなればなるほど一人での組み立ては困難になるので、こちらのものを選びました。
高さが増すことで収納力UPできたかと!転倒防止のために、同じくニトリの家具突っ張り棒を使用しましたが、家具がダークブラウンなのに突っ張り棒が白い&伸びる部分が銀色で目立つので、ちょっと失敗したかなーと思いました。
別の家具に使っている、アイリスオーヤマの家具転倒予防の突っ張り棒は、全部真っ白で、接地面のクッションもしっかりしていたのでそっちを買い足すべきだったか。
あと娘のおもちゃや本、ぬいぐるみは一角にあつめました。そのことにより、娘エリアが確立できて、彼女も遊びやすくなったうえに、ゴチャゴチャ感が軽減できたと思います。
今後の課題は私の勉強机の設置と、教科書やプリント類の整理。
終わった科目やしばらく使わない科目のプリントや教科書類は、押入れを整理したらスペースが空いたので、そっちに入れているものの日々プリントは増え、整頓が大変。
さらに今現在、勉強をダイニングテーブルでしているので、家で勉強する際は勉強道具を出しっぱなしにしておくことはできないのです。
来年度は国師もあるので、勉強スペースの確保をしたいところ。勉強机は簡易なものを買ってあるものの、いっぺんに全部やると…疲れちゃうから…徐々にやります。
ガンバルゾー!
自分の今までの人生は無駄じゃなかった
ブログ書くの久々になってしまった。
現在、自分はアラサーと呼ばれる年齢層なのですが、いろいろあって10代の子に混じって学生をしています。
やっぱり若い子に混じっていると、ジェネレーションギャップを感じるのですが、物事に対する考え方の差が結構大きくて驚くことが多いです。
感性や考え方って、自分の自分の人生の色々が反映されてくるものなので、18・9の子にいきなり自分と同じような考え方ができるかというとやっぱり難しいわけで
そうすると、特になにもせず過ごしていたと思っていた何十年も無駄じゃなかったんだなーって思えるようになりました。
あと感性って、若い頃にしか育たないものだと思っていました。しかし今の方が、アンテナがいっぱい育っていて、いろいろなことを色々な考え方で受け取れるようになっていることに気が付き、前向きになりました。いろいろな経験するぞー!
ねじれ
アダルトチルドレンである可能性は低いでしょう。
結果の内容から、以下のようなパターンに該当する可能性があります。
幼少期や思春期に下記の様なことはありませんでしたか?
○子どもを肯定しない家族のパターン ・他人や兄弟姉妹といつも比べられたり、差別をされた ・批判され、いやみや皮肉を言われた ・「こんなにしてやってるのに」「あんたのためだ」と恩を着せられた ・親の言うとおりにするようコントロールされた ○容姿やからだについて否定的なことを言う家族のパターン ・顔や姿についてからかわれ、見下された ・直すことができない身体障害をからかわれたり、卑下された ・「胸がでてきた」「おしりが大きいね」「毛深い」と性的なことを無神経に言われた |
アダルトチルドレンの度合いに関係なく、チェック結果で該当する可能性があるものを表示しています。
結果はACである可能性は低いでしょうだったけど、以下のようなパターンに該当する可能性がありますがぴったりでウヴォア…
20代半ばまで本当にいろいろねじれてたけど、結婚して実家でれたこともあって
すこしは前向きに矯正できた気がしてる。
思い出の価値
最近、小学生レベルの若い子が顔出しでYoutubeに動画を投稿してますよね。
そこからぐるぐると考えてみたんですが、少し前までは「今日こんなことがあったよーみたいな」ちょっとした出来事や思い出って、自分の中に秘めておいたり、身近なひとと少し共有するくらいのものだったと思います。
しかし近年ではそんな思い出の価値観は、外部の第3者が付けるものになっているような気がします。
YoutubeにしてもTwitterにしても、そうなんですが閲覧数、ふぁぼ数、RT数がその出来事・思い出の価値を図る物差しになっている。
出来事とか思い出って、物差しで測ったり比べるものではないはずなのになあー。
わりと最近、朝バスに乗っていたら、男子学生のグループが
「あいつ、俺の新作動画にコメント付けてねぇ!」
「チャンネル登録してねえんじゃね?」
「登録しろっつったのに!くそー。」
みたいなやりとりをしていまして。
LINEの問題はいろいろ小耳にはさんではいたのですが、youtubeも友達が動画投稿したらコメント残さないといけないのか。現代の子は大変だな…と思いました。
実在するものであっても、目に見えない思い出などであっても、モノの価値観って、自分自身で見出すものだと思うんですが、考え方が古いのかなあ。